「パン屑の妖精」とブザンソンの寮生活のこと

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日本から友達が訪ねて来てくれた時にのぼった。シタデルからの眺め。好き


留学していたんです、と人に話すとき、決まって「どこに住んでいたのか」と問われるが、そこでブザンソンだというと、大抵戸惑った顔をされる。特に相手が日本人だと。つまり、知名度が低いということ。

(唯一、会社の上司と分かち合えたことがある。以前勤めていた会社の都合で長年赴任していたらしい。が、これはかなりレアなケース)

フランス人相手に伝えると、あんなところにいたの!?と驚かれることが多い。冬は寒かったでしょ、と。その通りなのだが。

 

フランス東部の山間部にある都市で、フランシュ=コンテ地方にある。ドゥー県の県庁所在地。パリからTGVで2時間半ほど。スイスのローザンヌの方が距離としては近い。

都市…というか、町、というかんじ。かなりコンパクト。『地球の歩き方』でも、ブザンソンを扱うページ数は最低限しかなかったはず。当時ギャラリー・ラファイエットとセフォラはあるけど、フナックはなかった。市内の移動はバスがメイン、トラムが建設中。ドゥー川が囲むようにして中心市街が形成されて、それを見下ろすようにシタデルがそびえている。シタデルというのは、ヴォーバンの防衛施設群のひとつで、世界遺産。17世紀、太陽王ルイ14世に仕えた軍人のヴォーバンさんが築いた要塞である。今は施設内に動物園や歴史博物館がある。そもそもブザンソン古代ローマ時代からある都市で、中心街にはその時代の史跡もたしかあったと思う。

ヴィクトル・ユゴーリュミエール兄弟といった偉人もブザンソンの出身だし、毎年開催される国際指揮者コンクールは伝統もあり、名高い。

長い歴史のある場所に暮らすのはなかなかロマンがあっていいものだ。大学も中心街にあり、古い建物で真冬は本当に寒かったが趣があった。石畳の道を歩くのは楽しかった。

 

しかし実際にわたしが住んでいたのは、中心街からバスで30分ほどだったと思うが、さらに山の中にある大学寮だった。

ブザンソン大学は、理系の学部と、スポーツ系の学部が山の中にキャンパスを構えていて、その近くに寮もあったというわけ。敷地内には団地みたいな、無機質な長方形型の建物が点在していた。日本の団地みたいに、向きが決まっていたわけではなかったのが謎だった。

部屋のクオリティごとに建物も分かれている。トイレとシャワーとキッチンが共同の建物には日本人留学生がほとんどおらず、少し離れたところにあって、なんだか雰囲気がおそろしかった。

わたしが選んだのはキッチンだけ共同という部屋だった。家賃は、政府に手当てを申請した段階で月に200ユーロを下回ったと思う。しょっちゅう調子が悪くなるインターネット込み。共同キッチンにはおんぼろのIHコンロが備え付けられていたが、過熱の具合が最悪で、ほとんどそこで料理はしなかった。暖房も効きが甘く、冬は洗い物に出るのすら億劫だった。同じ階に暮らしていたアフリカ系の男の子がよく調理をしていたが、後片付けがいい加減で、コンロの周辺や流しのところによくとうもろこしの粒が残っていて不快だった。

部屋も部屋で、土地にゆとりは絶対にあるはずなのに、牢獄かと思うくらい狭かった。6畳もなかったと思う。ドアを開けたら突き当たりに窓があって、夏は長い時間西日が入って暑い。カーテンは意味がなく、窓を開けないと熱気が篭って死にそうになる。窓に面して垂直の位置にベッドがあって、そして並ぶようにすぐデスク。終わり。テレビはなし、小さい冷蔵庫はあり、冷凍庫はなし。譲ってもらった電子レンジを冷蔵庫の上に置いて、部屋から出たくない時にはデスクの上で調理していた。そして皆で集まるなんて時には、ベッドをひっくり返して無理やりスペースを作っていたが、よくあの狭さで10人近くたむろできたよなあと感心する。今、同じところに1年間も缶詰になったら真面目に発狂すると思う。しかも私が住んでいたのは最上階の6階だったのだがもちろんエレベーターはなく、建物自体が地上階から4階くらいまで工事中だった。

寮に住んでいるのは留学生だけではなくて、現地の学生もいた。毎日通学するには辛い距離に実家がある学生が、平日だけ利用して、週末は家族のもとに帰るのがスタンダードらしい。実際、隣の部屋に住んでいたフランス人の男の子も、週末は姿が見えなかった。(そのくせ彼はストゥディオ型――キッチン・バス・トイレ付きで、しかも倍の広さの部屋に住んでいた。ずるい。)

監獄のような寮生活でわずかに気に入っていたことといえば、階段の踊り場から裏山が見えて、そこで放牧されている牛を眺められること。茶色と白の模様が印象的な牛は、モンベリヤードという乳牛で、その牛乳はコンテチーズに加工されるらしい。鳴き声がたまに聞こえるとなごんだ。あとは、建物の名前が「Nodier」だったことだ。

 

命名の由来は間違いなくシャルル・ノディエだと思う。

18世紀後半から19世紀にかけて生きた作家で、フランス幻想文学の祖といわれている。そしてブザンソン出身(彼の出身地については、実は今知った)。

フランス文学を専攻していないとなかなか耳にしない名前だと思う。わたしも在学中に知った。フランス文学史か何かの授業で、教授が熱弁していたから。突出した代表作を挙げろ、と言われると難しいのではないか。

でもわたしは、その時に教授が語ってくれた「パン屑の妖精」の話が忘れられない。貧乏で精神的に病んでいる青年が、自分の部屋に住み着いていた妖精にパン屑を与えていくうちに、恋してしまうというあらすじだった。

「でもね、その妖精ってティンカーベルみたいに小さくてかわいらしい姿ではなくって、年を取っていて老婆みたいで、大きさも30センチくらいあるのよ~!」

と解説してくれた先生の笑顔と声の弾み方は、講義から10年近く経っても脳裏に焼きついて離れない。自分が好きなものを誰かに一生懸命に伝える時って、そうなるよね。というやつ。「パン屑の妖精」の日本語訳が収録された本は残念ながら絶版になっているけど、古書店に行くとあるわよ。と仰っていて、絶対に読みたくてちょこちょこ探してはいるのだが、先生、10年経ってもまだ見つけられていません。

 

話がだいぶ逸れてしまった。

わたしが暮らしていた寮は新しい建物だったし、たとえ最上階でも(青年の部屋は屋根裏だったけど)あの狭苦しくて居心地が悪い部屋に妖精が住み着く可能性なんてないけど。でも建物に刻まれた「Nodier」の文字を見るたびに、妖精に恋をした青年と、あの楽しい講義をふりかえって、過酷な留学生活のなかで少し元気を出していたことを思い出したのだ。