2023年9月 夏休み、3泊4日岩手・関西ひとり旅
旅行計画
今年の春、突如柳田國男にはまり、「遠野物語」を筆頭に柳田國男の民俗学に関連する書籍をずっと読んでいた時期があった。
遠野は小学生の頃に家族旅行で訪れ、河童釣りに挑戦したというおぼろげな記憶はあるものの、あまり馴染みがなく。
せっかくだから今年の夏休みは岩手だな!と心に決めて数ヶ月。
遠野市立博物館の企画展「遠野物語と呪術」を観覧することを主軸にプランニングしていたのだが、
芸術新潮8月号で敬愛する青池保子先生が神戸で原画展を開催すること、そして会期が夏休みにばっちり被っていることを知り、
こりゃあ両方行くっきゃない!!!というパッションで企画立案したのだった。
①岩手の土地勘がまっっったくなかったので、まずは地図で主要地の位置関係を確認。
遠野って花巻(新幹線が止まる)と結構近いんだな〜、在来線で1時間くらいで行き来できるんだな!
と把握したので、花巻温泉のどこかに宿泊することを決定。
ところがわたしは車の運転ができない。
東京よりもはるかにかかるであろう移動時間を想定し、2泊して遠野は中日で行くという安全策をとる。
②東京・花巻間は飛行機が飛んでおらず、移動手段が東北新幹線のみということが判明。(大人の事情ですか?)
ただし花巻・伊丹間は贔屓のJALに乗れるため、
東京、花巻、関西(梅田or神戸で1泊)の大移動スケジュールを模索。
③今回の旅で絶対にしたいことが
・東京駅でお弁当を買う。ツオップのカレーパンは必須
・梅田の大丸でツマガリのクッキー、どこかしらで551の肉まん(チルド)を自分へのおみやげに買う
だったので、
花巻→関西の順に周ることを決めた。
1日目
11:36 東京駅発やまびこ59号盛岡行き
車内でお昼ご飯。もちろんツオップの揚げたてカレーパン。
カレーパン1つじゃ絶対に足りないので、DEAN & DELUCAでサンドイッチも買った。
ケバブ風ビーフサンドとかいうやつだった。くるみが入ったパンでおいしかった!
実は久々の東京駅が楽しみすぎて新幹線の発車1時間前に到着。
案の定時間を持て余し、銀の鈴辺りで本を読んで時間を潰していた…。
花巻に行くということで前日に調達した宮沢賢治、改めて読むととてもよかったです。
初めて乗るやまびこにテンションも上がり、わたしにしては珍しく昼寝をせず14:41に定刻通り新花巻駅到着、旅館へ送迎バスで移動。
駅前には銀河鉄道のモニュメント!
柱には「星めぐりの歌」が。
新幹線の中で読んだ「双子の星」のお話に出てた〜!と、ひとりで感極まる。
👆今回のお宿!
大大大満足のとっても素敵な温泉宿だった〜!!
温泉旅館に泊まる際、
・夕食前
・夕食後
・朝食前
には絶対お風呂に行きたいタイプ。
藤三旅館の温泉は源泉100%かけ流し・お湯の温度も高めで、最初の入浴時に20分くらい浸かっていたらちょっと湯当たりしてしまった…。
反省して次の入浴からは長くても10分程度で切り上げるように気をつけました。
ごはんもとってもおいしくて、ボリュームもちょうど良く完食!
心地いい満腹感で終えられてハッピー。
そして食後にも存分に温泉に行けるよう、お酒は我慢。
部屋からは渓流を眺められます。
水の音を聞きながら、読書したり布団でゴロゴロしたり、の〜んびり。
夜はお風呂上がりのぽかぽかで早々に就寝…のはずが、
隣の部屋のおじさん達の酒盛りが遅くまで続いているようで、ずーっとダミ声が響いてきてなかなか寝付けなかった😭
昔の建物で壁が薄かった。耳栓を持参しなかったことを後悔。。
2日目
寝起き即大浴場でぽかぽかになり、朝ごはん。
地産地消をモットーにしているメニューはもちろんおいしくておなかいっぱい。
普段だと絶対食べきれないのに、旅行の時だけ胃の許容量が増える不思議。
9:01 最寄りのバス停からの路線バスに乗車、花巻駅へ。
ここでプチ事件。
事前に岩手県交通のサイトをチェックしたところ、交通系ICカードが使用できるとのことだったので、あらかじめ東京でpasmoに1万円チャージしていたのだが…
やってきたバスの車内、どこにもカード決済端末がない!!!😂
慌てて現金決済。
そしてこの”pasmo使えない現象”はJR在来線でも起こった。
9:49 花巻発の釜石線に乗る。
改札を通る時、深く考えず自動改札にpasmoをタッチ。
10:51 遠野に到着、まさかの有人改札!
駅員さんがもぎって?いる!
なんでもICカードの有効エリアは限定的で、遠野は対象外なんだとか。
花巻駅にちゃんとその旨掲示されてるのだがすっかり見落としていた。
駅員さんに現金で運賃をお支払いして改札を出た。
咄嗟の時はやっぱり現金なんだなー、念のため多めに持っていてよかったなーとしみじみしました。
まずは駅から歩いて30分、『遠野物語』にも出てくる愛宕山のふもとへ。
薄曇りだったからまあいけるかな、と歩き始めたところ途端にピーカン晴れに…
レンタサイクル借りればよかった、と思いついたのも道半ば。当然流しのタクシーもいないし、汗ダクになりながら頑張って歩きました。
なんなら外気温38度の日に上野公園をウロウロしていた時よりも汗をかいた気がする。
愛宕神社のあたりは大昔には沼地だったそうで、神秘的な空気でとっても素敵だった。
『遠野物語』の通り、山の神様(=天狗さん)はぜったいいるな…と思わせる雰囲気。
そしてまた顔を真っ赤にして汗ダクで30分歩き、市内へ。
「とおの物語の里」という観光案内所?で涼ませていただく…なかなか汗が引かなくて恥ずかしかった。
冷えたりんごジュースがしみる〜〜〜。
施設のおねえさんから色々遠野のお話を伺って、
おすすめされた老舗の和菓子屋さんでお土産にいくつかお菓子を購入したり、
絶対行ってください!と熱弁なさっていたお豆腐屋さんにも寄って、おかみさんとお話ししながら朝しぼりたてという豆乳をいただいたり…
遠野でお話しした方、み〜〜〜んな気さくでいい方で本当に嬉しかった。
そして念願の市立博物館へ!
企画展ももちろんよかったけど、それ以上に常設展がすばらしかった。
遠野物語だけじゃなくて郷土史を深堀りした、じっくり見応えのある構成。
平日だったけど、館内にまあまあ人がいたのもほっとした。
きっとみんなレンタカーで周遊しているのでしょう。。。
博物館の裏山に鎮座する南部神社で河童さんに挨拶したところでにわか雨が。
慌ててふもとに降りて、今度は小腹が空いていることに気づく。
帰りの電車の時間が迫っていたのでお店に入って食事するわけにもいかず、結局地元スーバーのお惣菜コーナーで焼き味噌おにぎり(カリカリ梅入り!)をget。
施設内の”憩の広場”的なところで、ひとりおにぎりにかぶりつく…。
15:10 遠野発 JR快速はまゆり6号
今度はちゃんと切符を買って花巻へ。
宿に着いたら思いのほかくたくただったので、お風呂に入り、夕飯をいただいてからはNHK BSプレミアムでやっている六角さんの「呑み鉄」を見ながらゴロゴロ。
好きなんですあの番組。
この日はもう例のおじさんたちはいなくなっており、静かないい夜を過ごせました。
3日目
大阪へ移動。
送迎バスで旅館から花巻へ、11:06 JR東北本線盛岡行きに乗車。
一駅先の花巻空港駅で降車…したのがまさかのわたしひとりだった!そんなことある!?
ずいぶん鄙びた駅だなあと感じたのも納得、まあまあ混んでた乗客はほとんど盛岡に行くのかな?
駅から空港まではアクセスバスで10分弱。
仕事で来ていたのだろう男性客2組が先に待合室にいたからよかったけど、正直めちゃくちゃ不安だった。
しかもバス、5分ほど遅れて来たし…。
そんなこんなで無事に12:30、伊丹行きのJALは離陸。
例によって旅館の朝ごはんをたくさんいただいていたのだが、
お昼時でなんとなく口寂しくなり機内でおやつを食べたり、
窓からの景色をずっと眺めていたり、
ついでにちょっと昼寝をしたり…
あっという間に大阪、空港バスで西梅田へ。
👆今回のホテル
初めて泊まったけど、空港バス乗り場から近いしきれいだし、
なによりもともとキタは西梅田界隈が土地勘あって安心だったのでよかった。
花巻温泉の余韻に浸りたくて、大浴場は使いませんでした。
でも実はホテルの入り口がよくわからなくてちょっと迷った。
梅田って地下はわかりやすいけど、地上に出たら途端に謎。
ほんの10分ほどさまよっただけで既に汗ダク、西日差す大阪はものすごく暑い…。
気がつけば夕方4時になろうかという頃、チェックイン後すばやく着替えて出発!
明確な目的があったわけではないのだが、ルクアイーレに見たい店があったので一旦向かってみるも、あんまりピンとこなくて買い物せず。
それにしてもやたら館内混んでるなと思ったら、アットコスメストアが数日前にオープンしたばかりらしい。
熱気と若い女の子たちのエネルギーがすごくて、田舎から移動してきたばかりの身には正直辛かった。
まじで。おのぼりさん状態…。
自分の身なりもこころなしかヨレヨレに見えるし(温泉でのんびりリフレッシュしたはずでは?)
すごすごと退散。
そして、お昼ごはん食べてないからこんなに消耗しているのでは?という仮説をたて、新梅田食道街へ。
中途半端な時間だけど、きじでお好み焼きを食べちゃおう!という案を思いついたのである。
我ながら名案、この時間ならまあまあ空いているのでは?
豚玉かな〜モダンもいいな、2枚はちょっと食べきれないかもな〜
と目論んでいたがそんなに甘くなく、もちろん満席。
ちょっと悩んだけど、待てなかったから向かいの松葉に飛び込んで串カツタイムを送ることにした。
「とりあえず生」がしみる。。。
まだ店内は空いていて、タバコの煙もほとんどなくて快適だった。
中ジョッキ1杯で済ませて、ほろよい気分で阪神デパ地下へ!
これこれ、これですねん。
シャワーを浴びてさっぱりしたところで晩酌スタート。
ほんのりあったかいしゅうまいをつまみながら、幸せな夜が更けていく…。
4日目
今回西梅田エリアのホテルを押さえていてよかったのが、阪神電車の改札が近くて移動がスムーズだったこと!
阪神に乗って魚崎乗り換え、六甲アイランド線・アイランド北口駅。
小雨が降るなか、神戸市立小磯記念美術館へ。
本当に心から行ってよかった。
どの原画からも青池先生の愛が伝わってきて…。
初期の短編もものすごーーーく上手い。
高校生で学業と両立しながらのクオリティとは思えない。。。
『アルカサル』のドン・ペドロ残酷王のことをずっと「王様」と呼んでいらしたのもぐっときた。
来年の東京会期も絶対に行きます。
画集とグッズももちろん購入。
ジェイムズ君の飴ちゃんポーチはそのままのど飴ポーチとして使うのだ(今までちっちゃいジップロックに入れて持ち運んでいた)
ポストカードセットも美麗で…
仕事で疲れて帰ってきた時とかに1枚1枚眺めるだけで思わずニッコリ笑顔になるセレクション。
骨太なハードボイルドとコメディと写実性と麗しの少女漫画メソッドがこんなにもハイクオリティで両立できる漫画家先生、わたしは他に知らないわ。
青池先生、ずっとお元気でいてください。大好きです!!!
というわけで大満足だった最終日。
ほくほくした気分で当日リリースされた人間椅子の新譜「色即是空」を聞きながら、
ツマガリのバタークッキーを手に帰路についたのでした。
あ、そうそう、新大阪のホームでぼーっとしてたらドクターイエローに遭遇したのも嬉しかった(両手が塞がっていて写真撮れず)。
我ながら情報量多すぎの4日間、とーーーっても楽しかった!
また労働に励むぞ。
2023年夏休み・3泊4日国内旅行 カバンの中身
本来は7月半ばに取得するはずだった今年の夏休み、仕事の都合でまんまと9月前半にずれこんでしまった。
そもそも嫌な予感はしていたんだ。でも無理に7月に休んでも締まるのは自分の首だし、9月の方が旅行のスケジューリングがしやすいな、と歯軋りして見送った7月。そして死んだ魚の目をして乗り切った8月。
懸念すべき諸々は数多あれど、一旦未来の自分にお任せして休みを満喫しております。
そして今回、とっても楽しみにしていた旅のコンテンツは…
・花巻温泉の老舗旅館でのんびり
・神戸市立小磯記念美術館で「青池保子展 Contrail 航跡のかがやき」観覧
どうです、盛りだくさんでしょう。
まずは行程を120%全力で満喫するために準備した手荷物の数々を備忘録として残しておく。
ていうか単純に「カバンの中身」「ポーチの中身」ログを眺めるのがとても好きだから…。
今回大満足な旅だったから、旅行記そのものも近々まとめておこうかな〜
目次:
①着替え
今回大正解だったのが、通常の着替え・パジャマに加えてワンマイル用にしているTシャツOP +コットンの10分丈レギンスを持参したことである。
旅館据え置きの浴衣がものすごく苦手なので、就寝時はいつものパジャマを着ているのだけど、それ以外にくつろぎ用として用意しておいて我ながらGJだった。
もともと出先から戻るとすぐに外出着を全部脱ぎ去りたい(&化粧を落としたい)こともあり、自宅と同じルーティンができるととてもリラックスできる。
そしてスポンと簡単に脱ぎ着できるから、朝起床してすぐ大浴場に向かう時も手間がかからず非常に重宝した。
今回の宿泊先が肩肘張らなくていい旅館だったので、なんなら食事の時も毎回着て行った。
外出着は
・デニム1本
・ワンピース2着
・Tシャツ2枚
・ノースリーブカットソー1枚
・コットン長袖カーディガン1枚
・スニーカー(雨予報だったのでゴアテックスのハイカットコンバース)
こちらで廻した。
装飾品はいつもの自動巻腕時計、シルバーリング2つ、ピアス(後述)。
パジャマ類、肌着類、外出着に分類し、かつ汚れ物を洗濯ネット2種類に分けていた。
荷物が少ない時はEaglecreekのパックイット2つだけで済ませるんだけど、ちょっと嵩張るので今回はエコバッグや巾着類を駆使。
今確認したら、わたしが使ってるパックイット廃盤になってるっぽいな。コンパクトにまとめられて便利なんだけどね。
②スキンケアなど
母手製のビニールポーチに入れているもの。
行き先によって取捨選択もあるけど大体同じ顔ぶれ。
以前はカウンターでもらうサンプル類を毎回選んで入れて…という作業をしていたけど面倒になって、今年の始めにTOUT VERTのお試しキットを買ってからはちょうどいいやと入れっぱなしにしている。
顔用日焼け止めはその時使っている現品を入れている。今夏はWhite Shot。
また、クレンジング。
通常自宅だとビフェスタのポイントメイクリムーバーを使用しており、あらかじめコットンに染み込ませておいたものをラップに包んでいれておくこともあるが、面倒になって最近は省略。
最近はテキトーに買ったちっちゃいDUOを入れっぱなし。可もなく不可もなく…。ウォータープルーフのマスカラ、ティントタイプのリップも一応落ちている。
ダブル洗顔は絶対にしたい派なので、これもいつかおまけでついてきたinnisfreeの洗顔フォームを入れっぱなし。朝も使用。
ヘアミルクはこれも通常の愛用品を。美容院で買っているものなんだけど、容器がまあまあのデカさなのでクリームケースに詰め替えておく。時々液漏れしていたので買い替えを検討中。
シャンプーはTHREE。頭皮ケアもできて夏はいいんだよね。
これが実家に帰って連泊する時は木村石鹸のパウチになったりする。3日分くらい使えるから。
絶対忘れられないのがローズウォーター。何年もずっといろんな部位に使いまくっており、iherbで定期的にまとめ買いしている。顔・ボディ・髪、全パーツいける。
あとは万一の時、気分転換したい時用に違うブランドのクレンジングなど。今回ポーチに入ってたのはwaphitoだった。
ネイルオイルも必須!通っているネイルサロンが出しているもの。
そして突発的に飲酒した時のために酒豪伝説…。年々肝臓が衰えている。
②その他身の回り品
これも母手製のポーチに入れていた。
今回迂闊だったのが、普段使い用の日焼け止め(ニベア)しか入れていかなかったこと…。
絶対焼きたくない時用のSHISEIDOを迷ってやめてしまった。
2日目の遠野散策で日光にやられ、滝汗をかき、結果発疹が出ちゃった。
わたしは直射日光というか可視光線に弱く、気を抜くとすぐ肌荒れしてしまうのです。反省。
メンテでマーキングしているボトルのはファブリックミストです。
旅館にないかと思って入れておいたら結果あった。要らなかったな〜
アメニティの歯ブラシが嫌いだから毎回持参している。フロスも忘れずに。
ヘアゴム、クリップなど細々したものは頂き物のフェイラーのハンカチポーチにイン。
ナイトガードのマウスピースも!
ヘアアイロンはなし。ukaのヘアバームだけで凌げる長さになったので平気だった。
ukaの何がいいって、ボトルが瓶じゃなくてプラなんです。あと既に中身が少なくなってるから軽い。
写真には映ってないけど、乾燥肌の民(たみ)なのでボディローションも必要。
今回はinnisfreeのオリーブリアルシリーズだった。
確か昨年の秋にポチったのだが、わたしの肌では冬の乾燥時期を耐えられなかったので、今のうちに一生懸命使い切ろうとがんばっているところ。
ちっちゃい茶色のポーチには替えのピアスが入っている。
お気に入りのバッファローホーンのやつでまとめ髪をする時にぴったりなのだ。
それとフェイクパールのスタッズピアスを着用。夏は本真珠なんて到底着けられません。
ボディシートはもともと入れていなかったのが、遠野で汗ダク状態が限界になり購入したもの。
ちなみに遠野駅周辺ではコンビニもドラッグストアも見つけられず、、、
途方に暮れていたところ、”とぴあ”という地元密着型商業施設の存在を市立博物館の展示で知り、とぴあ内の化粧品店(という形容になるのかしら)で買った。
陳列棚の中に見つけられず、お店のおねえさんに
「あのう、ボディシートみたいなものありますか…体を拭くやつ、ウェットシートみたいな…」
という拙い問い合わせを経て出してもらった思い出深い品であります。
③本たち
一人旅の時に掲げているモットーのひとつが”デジタルデトックス”、早い話がツイッター離れである。Netflixも我慢。
毎回何かしらの本を持参するのだが、今回の旅先の一つが花巻だったので宮沢賢治の短編集を2冊選んだ。
これが大正解!!!
風景を眺めながら、作品に対しても土地に対しても解像度が上がっていったというか。
実は今まで本当に興味がなかったのだ。ごめんなさい。
実家にも宮沢賢治の童話を題材にした偕成社の絵本たちが大量にあるのだが、しっかり目を通したことがなく…。
いや、「猫の事務所」と「注文の多い料理店」は好きだったな。
「雨ニモ負ケズ」とか絶対人生で一度は触れるじゃないですか。でもなんかしゃらくさいな〜、フーン…と斜に構えていたんですよね。イーハトーヴってなんやねん、と。
いやー、大人になってこのタイミングで読み返してとても良かったです。これまでの観念がまるっきり覆った。心が洗われた。
『銀河鉄道の夜』に収録されている「双子の星」「貝の火」「ひかりの素足」、『注文の多い料理店』中の「水仙月の四日」が特に好きだった。
他の作品も読んでみようと心から思った…。
そしてロイヒトトゥルムのノートは今年のバレットジャーナル兼雑記帳として使用しているもの。
移動が多い旅程だったので、事前に新幹線・在来線・バス・飛行機などの時間、運賃など全て書き出し1ページにまとめていた。咄嗟の時にすぐにノートを開いて確認できて便利だった!これも我ながらGJ。
④バッグ類
今回メインバッグを無印の縦型トートにしたんだけど(出発前日にたまたま見つけて衝動買いした)めっっっっちゃくちゃ使いやすかった!!!
肩にかけられるし(重要)たくさん入るのにポケットたくさんで仕分けやすくて持ち物が迷子にならないしキャンバスなのに軽くて(重要)座った時に膝の上に乗せても収まりがいい(重要)!!!洗濯機で回せる…のかどうか公式の見解はわからんが、帰宅後に洗っても全然問題なかったのでこれからも定期的に洗濯する(嬉しいポイント)!!!
デニムで色移りしちゃった時が嫌だなと思い、生成りと迷って黒にしたんだけど、グレーもあるのね。
いずれにせよ便利すぎて気に入ったので色違いもそのうち買うと思う。すんごいよかった。
持ち手の付け根部分にレザーのチャームをくくりつけてワンポイントにしていました🌟
メインバッグが大きめだったので、ちょっとした時に貴重品だけ入れてウロウロする用にエルベのミニポシェットと、エコバッグも2サイズ持参。
モノプリのエコバッグは5、6個持っているのだが、結局いつもこのマントヒヒ柄のものを選んでしまう。使いすぎてロゴ部分が相当くたびれている…。
空港や駅で急いでお土産をまとめ買いしてもしっかり入るからありがたいサイズなんだよね。
ディズニーランドのガチャガチャでゲットした黄色いこは普段からカバンに入っているやつ。
これもちょっと小ぶりで、厚みがまあまああってとても使いやすい。500円の良い遣い方をしたと思っている。
上記の他にもニューエラのキャップ、UV99%カットらしい晴雨兼用の折り畳み傘、常飲しているサプリ類などがあった。
そうそう、大前提として機内持ち込みサイズのキャリーケースを使用しています(花巻・伊丹間では機体が小さくて持ち込めなかった)。
8年近く前に地元も駅ビル内のバッグショップで急遽購入したもの、一応フランスのメーカーらしいが細かいことは不明。ストッパー機能が付いているのでありがたい。
帰省時も使っているのでだいたい1、2ヶ月に1回は使っているけど、まだまだがんばってくれている。
メイク用品をまとめているポーチももちろんあるのだが、疲れちゃったのでまた別途ブログにまとめる予定。
筋膜リリースやってもらってみたこと
表題の通り。
先日気の置けない友人兼同期と、久々に食事した。
仕事の愚痴やらなんやらはもちろんのこと、もう我々も三十路なのでやはり健康管理についての話題の比重がどうしても高くなる。
彼女が旦那に勧められて行った筋膜リリースがとてもよかった、と熱心に教えてくれた。
もともと興味はあったし、デトックスになると聞き及んで、いつにも増して疲労度マックスだったわたしは早速次の休日に合わせて予約を取ったのである。
普段、スポーツ整体と鍼灸を一緒に施術してくれる治療院に通っているのだが(大好き)、自宅からちょっとアクセスが悪いのと、なかなか休みが合わないのとで近頃行けていなかった。
もうここしばらく忙しすぎて全身バキバキでつらかったし、前述のランチの際にお店の人に記念写真を撮ってもらったのだが、写っている自分がものすごく姿勢が悪くておばあちゃんか????と見まごうばかりでとてもショックだったのである。
そもそもはもうちょっと高頻度で鍼灸やってもらえればいいんだけど…。
友人が施術してもらったというセラピストさんを指名して、いざ当日。
本当に仕上がりの即効性に驚いた。
まずくびれができていた。
「腸揉み」というのをやってくれるのだが、水は日頃意識して飲むようにしていても、ヘソの右側を揉んでもらうのがものすごーーーーく痛くて、たいがいの痛みは我慢できる自分でも「いたいいたい」と思わず口にするくらい。(ちなみにイタイ!!と言っても施術の手は緩まず、そこもストイックでよかった)
この痛みは腸が詰まっていることからきていて、なんで詰まるかというと、小麦製品の食べ過ぎが一因とのこと。
心当たりありまくり。
毎日の朝ごはんはパンだし(近所にうまい食パンを置いている店があって、それをトーストして甘くないピーナツバターを塗ってバナナをスライスしたやつをのっけて食べる)、昼食もパンやパスタや麺類が多いし、夜もくたびれすぎていると麺類で簡単に済ませることが続いていたし、そもそも小麦製品大好きマンなのだ…。
ちょっと、いやだいぶ反省して、施術の翌日から小麦控えるようになりました。
以前ちょっとはまって、しばらく食べずにおいていたオートミールを引っ張り出してきて、それを朝食に置き換えているのだが、こころなしか日中のダルさがちょっと解消されたような…。完全に憶測だが、たぶんパンを食べた時よりも血糖値の上昇度合いが緩やかになっているんだと思われる。
当面の間、小麦は休みの日だけに食べます。
あとはお尻〜ふともも〜ふくらはぎもめっっっっちゃくちゃ痛かった。
ここしばらく張ってるな〜と思っていたらやっぱり痛かった。
でもこれは浮腫んでいるというよりは、立ち仕事からくる筋肉の強ばりですね、とのことだった。
着圧グッズを身につけて、と言われたけど、わたし実は着圧の靴下とかわりと苦手なんだよね…。程度が緩いのから取り入れてみようかな。。(まだ買ってない)
揉み返し、というか好転反応もまあまあきつかったけど、それは鍼をブチこんでもらった時と大差ないようだったから問題ナシ。
あとは後頭部から首、肩、背中の強ばりが施術後すぐになくなっていて本当に感動した。
もう背中ガチガチすぎて、肩甲骨周りがモタついた感覚がずーっとあって、心底辛かったから…。
肩が上がっちゃってたのもスッキリして、めちゃスタイルよくなってた。ストレートネックもちょい解消されていた気がする。
セラピストさんから「理想は週1で通ってもらうこと」と勧められたけど正直なところそれはお財布事情が厳しいので、がんばって週2かなあ…月1いけたらいいな…
でも本当に感動したし、これから超繁忙期でズタボロになりそうだから、ボロ雑巾になる前に鍼灸とうまくバランスとって続けたい。
ジャンクフードもここしばらく我慢しているんだけど、昨晩久々にマックのポテト食べたら「こんなにマズかったっけ…」とショックを受けた。
テイクアウトだったし、揚げて時間が経ったものを渡されただけかもしれないけど…
もう悲しかったので、しばらくハンバーガーはモスとバーガーキングしか行きません。
フレッシュネスも好きだけど、最寄りの店のはあんまり好きじゃないんだよな、店内もちょっと小汚いし…ちゃんと掃除してくれ。
とにかく、8月末頃から食生活がボロボロだったし、身体ケアも満足にできていなかったから、やる気を復活させるいい機会でした。
龍平と茄子と唐辛子のこと
こどもの頃はひどく偏食だった。
今でこそたいていのものは食べられるし、好きな食材や料理もたくさんあって、食事に楽しみを見出せるが、大人になってからしばらくの間も食べられなかったものが多い。
苦手なものに共通したのが、
・からい
・食感がグニュグニュしていて噛んだ時の感触をイマイチ受け付けられない
という要素。
フランスで暮らしてみて、一般的に料理の味付けがマイルドなものが多くて、たすかった~と思っていた。
ただ悲しいかな、地方都市に長らく暮らしていると、いざ外食しよう!となった時のレパートリーが限られる、という問題にぶちあたる。これは日本でも同様のことだとは思う。特に食べたくてうずうずしたのが、和食を含めたアジアの味。
ブザンソンにはもちろんアジア人も居住しているから、いくつかアジア料理を提供するレストランは存在するのだが、店の外に張り出しているメニューを眺める限り、自分が想像して求めている味は絶対に提供されないという確信が生じて困っていた。
一度早々にどうしてもカレーが食べたくて、インド料理屋に入ったことがある。リザーブされたカレーはそこまでスパイシーさがなくて物足りず、不完全燃焼に終わってしまった。
通っていた語学学校は、ブザンソン大学と提携していて、かなりきちんとした施設だったらしい。日本人留学生の比率は少なかったが、中華系やアラブ系、マグレブ系といった様々な国籍の学生が年齢問わずたくさんいた。まあ、自然に近い国籍でかたまりがちで、語学学校でできた友人はほとんどが中華系だった。
で、仲良くなったなかに、上海出身の男の子がいた。確か少し年上で、フランスで絵画を学びたくて、その基礎固めとしてフランス語を勉強していると言っていた。身なりもかなりきちんとしていて、毎日違う洋服を着ていたし(日本人にとっては当然の習慣でも、どうやら中国、特に地方によってはかなり珍しいらしい)相当裕福な家庭に育っているんだろうなと邪推していた。日本のマンガが好きで、特にSLAMDUNKが気に入っていたようで(わたしも好き)マンガ愛から仲良くなれたのだった。顔立ちも、松田龍平をもう少しソリッドにしたかんじ、レッドクリフにキャスティングされたら絶対名だたる武将の役がもらえそうなかんじだった。仲間内では彼のことを勝手に龍平と呼んでいた。でもかなり小柄で、わたしは高身長な男性にしかときめかないので、恋愛感情は芽生えなかった…。
何の話だというところだが、とにかくその龍平と留学中のカルチャーショックについてだったか、会話をしていたことがある。
わたしが、中華料理が好きで、地方によって味付けが違うのもなんだか魅力的で、小龍包とか麻婆豆腐とか食べたいけど、こんなフランスの片田舎だと我慢するしかないよねえ、みたいなことを言ったのだと思う。留学仲間の中国人の友達で、料理が上手いやつがいるから、ふるまってあげる!とのことで、龍平が急遽チャイニーズディナーをセッティングしてくれたのだ。めちゃくちゃ嬉しかった。こんな幸せな機会は分かち合うべきだと思って、日本人で食道楽の友達をひとり誘って、ノコノコとお呼ばれされた。
腕を振るってくれた龍平の友達は四川省出身で、渡仏前は学業の傍らレストランの厨房で働いていたと言った。同席してた四川省出身の女の子が、四川の冬は寒いから、からいものを食べて体を温めるのよと説明してくれた。
そしてご馳走してくれた数々の品が、本当においしかった!
リクエストした小龍包と麻婆豆腐ももちろん食卓に並んでいたし、名前を忘れてしまった蒸し鶏的なお料理もよかったが、なによりおいしかったのが茄子だった。
前述のとおり、実はわたしはまさにその時まで茄子が苦手で食べられなかったのだが、食べられないなんて断ったら失礼だし、といただいてみた。茄子は縦に開いて素揚げにしているみたい、そして輪切りにした唐辛子がメインのソースがこれでもかとかかっていて、茄子とそのソースを一緒に口にするというお料理。
からいものも苦手だったわたしにとっては、暴力かと思ったほど唐辛子のインパクトがすごくて、目を白黒させながら食べたのだが、ふしぎと嫌ではなかった。とろりとした茄子の食感もおいしい。なんだかお箸のはこびが止まらなくなる。ふと隣を見ると、四川の女の子が汗をかいて「からい…」とつぶやきながら咀嚼していて、普段からからいものを食べる人でも、ちゃんとからさを感じるんだなあ…と変に感心してしまった。
打ち解けた友達とみんなで一緒に同じ皿の料理を食べるのって、やっぱりいいなと思ったし、それから茄子も唐辛子も好きになれた。きっかけをくれた龍平に感謝。
帰国してから龍平とは全くやりとりをしていないし、facebookもかろうじて繋がっているのみで更新もなく、彼の近況はわからないけれど、どこかで元気にしていてほしい。
「パン屑の妖精」とブザンソンの寮生活のこと
留学していたんです、と人に話すとき、決まって「どこに住んでいたのか」と問われるが、そこでブザンソンだというと、大抵戸惑った顔をされる。特に相手が日本人だと。つまり、知名度が低いということ。
(唯一、会社の上司と分かち合えたことがある。以前勤めていた会社の都合で長年赴任していたらしい。が、これはかなりレアなケース)
フランス人相手に伝えると、あんなところにいたの!?と驚かれることが多い。冬は寒かったでしょ、と。その通りなのだが。
フランス東部の山間部にある都市で、フランシュ=コンテ地方にある。ドゥー県の県庁所在地。パリからTGVで2時間半ほど。スイスのローザンヌの方が距離としては近い。
都市…というか、町、というかんじ。かなりコンパクト。『地球の歩き方』でも、ブザンソンを扱うページ数は最低限しかなかったはず。当時ギャラリー・ラファイエットとセフォラはあるけど、フナックはなかった。市内の移動はバスがメイン、トラムが建設中。ドゥー川が囲むようにして中心市街が形成されて、それを見下ろすようにシタデルがそびえている。シタデルというのは、ヴォーバンの防衛施設群のひとつで、世界遺産。17世紀、太陽王ルイ14世に仕えた軍人のヴォーバンさんが築いた要塞である。今は施設内に動物園や歴史博物館がある。そもそもブザンソンは古代ローマ時代からある都市で、中心街にはその時代の史跡もたしかあったと思う。
ヴィクトル・ユゴーやリュミエール兄弟といった偉人もブザンソンの出身だし、毎年開催される国際指揮者コンクールは伝統もあり、名高い。
長い歴史のある場所に暮らすのはなかなかロマンがあっていいものだ。大学も中心街にあり、古い建物で真冬は本当に寒かったが趣があった。石畳の道を歩くのは楽しかった。
しかし実際にわたしが住んでいたのは、中心街からバスで30分ほどだったと思うが、さらに山の中にある大学寮だった。
ブザンソン大学は、理系の学部と、スポーツ系の学部が山の中にキャンパスを構えていて、その近くに寮もあったというわけ。敷地内には団地みたいな、無機質な長方形型の建物が点在していた。日本の団地みたいに、向きが決まっていたわけではなかったのが謎だった。
部屋のクオリティごとに建物も分かれている。トイレとシャワーとキッチンが共同の建物には日本人留学生がほとんどおらず、少し離れたところにあって、なんだか雰囲気がおそろしかった。
わたしが選んだのはキッチンだけ共同という部屋だった。家賃は、政府に手当てを申請した段階で月に200ユーロを下回ったと思う。しょっちゅう調子が悪くなるインターネット込み。共同キッチンにはおんぼろのIHコンロが備え付けられていたが、過熱の具合が最悪で、ほとんどそこで料理はしなかった。暖房も効きが甘く、冬は洗い物に出るのすら億劫だった。同じ階に暮らしていたアフリカ系の男の子がよく調理をしていたが、後片付けがいい加減で、コンロの周辺や流しのところによくとうもろこしの粒が残っていて不快だった。
部屋も部屋で、土地にゆとりは絶対にあるはずなのに、牢獄かと思うくらい狭かった。6畳もなかったと思う。ドアを開けたら突き当たりに窓があって、夏は長い時間西日が入って暑い。カーテンは意味がなく、窓を開けないと熱気が篭って死にそうになる。窓に面して垂直の位置にベッドがあって、そして並ぶようにすぐデスク。終わり。テレビはなし、小さい冷蔵庫はあり、冷凍庫はなし。譲ってもらった電子レンジを冷蔵庫の上に置いて、部屋から出たくない時にはデスクの上で調理していた。そして皆で集まるなんて時には、ベッドをひっくり返して無理やりスペースを作っていたが、よくあの狭さで10人近くたむろできたよなあと感心する。今、同じところに1年間も缶詰になったら真面目に発狂すると思う。しかも私が住んでいたのは最上階の6階だったのだがもちろんエレベーターはなく、建物自体が地上階から4階くらいまで工事中だった。
寮に住んでいるのは留学生だけではなくて、現地の学生もいた。毎日通学するには辛い距離に実家がある学生が、平日だけ利用して、週末は家族のもとに帰るのがスタンダードらしい。実際、隣の部屋に住んでいたフランス人の男の子も、週末は姿が見えなかった。(そのくせ彼はストゥディオ型――キッチン・バス・トイレ付きで、しかも倍の広さの部屋に住んでいた。ずるい。)
監獄のような寮生活でわずかに気に入っていたことといえば、階段の踊り場から裏山が見えて、そこで放牧されている牛を眺められること。茶色と白の模様が印象的な牛は、モンベリヤードという乳牛で、その牛乳はコンテチーズに加工されるらしい。鳴き声がたまに聞こえるとなごんだ。あとは、建物の名前が「Nodier」だったことだ。
命名の由来は間違いなくシャルル・ノディエだと思う。
18世紀後半から19世紀にかけて生きた作家で、フランス幻想文学の祖といわれている。そしてブザンソン出身(彼の出身地については、実は今知った)。
フランス文学を専攻していないとなかなか耳にしない名前だと思う。わたしも在学中に知った。フランス文学史か何かの授業で、教授が熱弁していたから。突出した代表作を挙げろ、と言われると難しいのではないか。
でもわたしは、その時に教授が語ってくれた「パン屑の妖精」の話が忘れられない。貧乏で精神的に病んでいる青年が、自分の部屋に住み着いていた妖精にパン屑を与えていくうちに、恋してしまうというあらすじだった。
「でもね、その妖精ってティンカーベルみたいに小さくてかわいらしい姿ではなくって、年を取っていて老婆みたいで、大きさも30センチくらいあるのよ~!」
と解説してくれた先生の笑顔と声の弾み方は、講義から10年近く経っても脳裏に焼きついて離れない。自分が好きなものを誰かに一生懸命に伝える時って、そうなるよね。というやつ。「パン屑の妖精」の日本語訳が収録された本は残念ながら絶版になっているけど、古書店に行くとあるわよ。と仰っていて、絶対に読みたくてちょこちょこ探してはいるのだが、先生、10年経ってもまだ見つけられていません。
話がだいぶ逸れてしまった。
わたしが暮らしていた寮は新しい建物だったし、たとえ最上階でも(青年の部屋は屋根裏だったけど)あの狭苦しくて居心地が悪い部屋に妖精が住み着く可能性なんてないけど。でも建物に刻まれた「Nodier」の文字を見るたびに、妖精に恋をした青年と、あの楽しい講義をふりかえって、過酷な留学生活のなかで少し元気を出していたことを思い出したのだ。
フランス留学のこと
もう10年も経とうとしているから、記憶にある限りではあるけれど、記録しておこうと思う。
大学生の時、フランスに2度留学した。
1度目は、1年次が終了した春休み、ロワール地方のアンジェに1ヶ月。
2度目は、3年生の9月から4年生の7月まで。フランス東部のブザンソンという地方都市。
アンジェへは学科の志望者で行く、所謂短期の語学留学で、ホームステイだった(ご縁があった家族は本当によくしてくれて、当たりくじを引いたと思う)。
ブザンソン滞在は、留学…というよりは「遊学」に近く、自ら志願して、家族にもたくさん援助してもらったけど、ほぼ勉強しなかった。根が不真面目で、努力とか、継続してコツコツ励む、とかが本当に苦手で、前期通った語学学校も、後期に選択したブザンソン大学の授業も、不完全燃焼に終わってしまった。
10年経った今でこそ、もったいないことをしたなと少し、いやだいぶ後悔している。
で、勉強の代わりに何をしていたかというと、授業を抜け出して広場で焼きたてのワッフルを食べたり、「くいしんぼ同盟」的なチームを作って市内で気になるレストランに繰り出したり、月に1度は留学仲間と一緒にフランスのいろんな地方に旅行をしたり、まあまあ充実していた。
当時はまだスマートフォンが普及していなかったし、寮で契約していたWi-fiはいきなり繋がらなくなることもしばしばで、今振り返ってみるとなかなかサバイバルだったと思う。非常事態があったらせめて連絡がとれるように、と持参したガラケーと(使用したケースは幸いなかったけど)留学仲間から借りていた、最低限の機能しかないプリペイドケータイ。
分厚い『地球の歩き方』もページがくたくたになるまで読み込んで、地方に旅行に行く時にはボストンバックに重たいラップトップも詰め込んでいた。TGVに揺られて、見知らぬ街に出かけて、見知らぬ風景に出会って、おいしいものに舌鼓を打つのはとても楽しかった。
あの1年で、余暇を旅行に費やす楽しみとか、事前準備の段取り方法とか、フットワークの軽さとか(気が向いた時にしか発揮されないが)が培われたし、
見知らぬ場所に行ってみたい、違う文化を体感したい、という好奇心が薄れることなく持続しているのも、その魅力を充分に知る機会が得られたからだと思う。
まあ旅行の最中はあまり複雑なことは考えておらず、ただ「たのし~」「すごい~」「おいし~」「きれい~」「暑い/寒い…」などと漠然と捉えているだけのことがほとんどなんだけど…。
とにかく、つれづれ書いてみる。